依佐美送信所の歴史

明治維新以来わが国の対外通信は、欧米の電信会社が所有する海底電線によらなければなりませんでした。このような対外通信施設の不備は、外交上・通商上の不利益をわが国にもたらしました。こうした時代背景と海底電線の短所を補うため、また、国際通信の自主性を保つために、無線通信の研究が本格化しました。当時、長距離通信は電力を増すと同時に、波長を長くしなければならないと考えられていました。

一方、1925年、議会で日本無線電信電話株式会社法案が通過、同社が設立され、電信電話事業が政府管掌から半官半民の会社でも運営できることになりました。 そこで、新たに建設される対欧無線局依佐美送信所は大電力の長波送信所として設計され、1927年7月に着工、1929年に完成し、本格的に運用を開始しましたが、実用化されたころには、短波通信が比較的小さな電力でも遠距離通信に有効なことが判明し、その結果、短波による対外通信が大いに普及するところとなりました。その一方で地球の広い範囲をくまなくカバーするためには、大電力の長波送信でなければならないこともわかってきたため、長波通信は特殊な通信手段としてのみ利用されることとなりました。

送信所開設(1929年)
設立当時全景

戦後、施設は米国に貸与され、使用されてきましたが、1993年に米国から送信所の閉鎖の通告を受け、翌年8月に全面返還となり、送信所の施設も撤去の方向へと話が進められました。これに伴い、1995年11月から空中線及びコイルハウスの撤去工事が始まり、1996年7月より鉄塔の全面撤去が行われ、1997年3月に工事が完了し、その使命を終えることとなりました。

鉄塔(高さ250mの鉄塔が8本そびえていました)
本館全景
送信室全景

旧依佐美送信所 IEEEマイルストーン認定

旧依佐美送信所で使用されていた無線送信設備は、現在愛知県刈谷市の「フローラルガーデンよさみ」内にある依佐美送信所記念館に保存展示されています。これらの無線送信設備は、2009年5月19日にIEEEマイルストーンとして認定されました。IEEEマイルストーンとは、IEEE、すなわち米国電気電子学会が電気・電子技術やその関連分野において社会に大きく貢献した発明や技術開発を称えて表彰するものであり、1983年に制定されました。2009年現在、全世界で80件以上が認定されており、旧依佐美送信所で使用されていた無線送信設備は日本で9番目の認定となりました。

IEEEマイルストーン認定銘板(提供:刈谷市教育委員会)
依佐美送信所記念館
記念館内部の様子
ローディング型コイル
直流電動機(手前)と交流発電機(奥)